越路吹雪物語(54) 越路吹雪はNHK紅白歌合戦を卒業

※ネタバレ含んでいます。ご注意ください。

ダイジェスト

 作曲を夫・内藤法美(吉田栄作)に、作詞を時子(市毛良枝)に依頼し、新アルバム制作に取りかかった美保子(大地真央)。年末の”NHK紅白歌合戦”で、その中の自信作『イカルスの星』を歌って1年を締めくくる。この頃から美保子と時子は紅白からの卒業を考えはじめるが、その決断は大きな波紋をよんで…!?

引用:http://www.tv-asahi.co.jp/koshiji/story/0010/

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越路吹雪はNHK紅白歌合戦を卒業

※ここから先は個人的な感想です。

NHK紅白歌合戦

越路吹雪は、1952年ー1970年の間に15回、NHK紅白歌合戦に出場したようです。

いまでこそ、紅白歌合戦の出演依頼を断る人はたくさんいますが、昭和のころは、紅白に出るのは歌手として最高の栄誉ですし、その年にTVで活躍した歌手が出ないなんて事、ありませんでした。

生放送ですから、他局での「レコード大賞授与式」に出演していた人たちは、式が終了したら急いで渋谷のNHKホールに駆けつけることになっていて、その様子もTVで中継されてたような気がする。

わたしは越路吹雪は覚えていないのですが、1970年代以降はよく覚えています。大晦日の夜は、家族みんなでコタツに入り、みかんを食べながら紅白歌合戦を見ました。懐かしいな。

紅白卒業を巡って

越路吹雪の時代に、NHK紅白歌の出場依頼を断る人なんていなかったんじゃないでしょうか。ましてや「卒業」なんて、越路吹雪が最初だと思うけどなぁ。

「テレビ局を敵に回すようなこと、まずいと思うよ」
「大丈夫かい?出たい歌手はごまんといるのに。恨まれるよ」
「そんなこと人に言ったら、偉そうな事しやがって!てなもんだよ」

こんな風に注意してくれた業界人がいましたけど、さもありなん。
NHK紅白歌合戦はそれだけすごかったんです。一度でも出たら「紅白出場歌手」という肩書が付いて一生の栄誉。その後のギャラが全然違ったりとかね。

でも「初めて出たころは、そんな大した番組でもなかったのにね」とコーちゃん。
電話で急遽代役を頼まれ、お酒で酔っ払ったまま出たと。そんなお気軽な時代もあったんですね。

そういえば、大晦日当日のその時になって代役で出演した人って越路吹雪以外にいるんだろうか?曲に合わせてセットから何から全部準備してるのに、もし当日になって出演できない人が出たらいったいどうするんだろう…。

楽曲リスト

誰もいない海(歌:越路吹雪)

誰もいない海、内藤法美さんの作曲で越路吹雪も歌っていたのですね。
わたしも、トワ・エ・モアの歌のほうしか知りませんでした。

あとがき

美川憲一さん、セリフ、ボー読み(^^)。俳優とそうでない人との差がハッキリ。

大地真央さんは、ますます越路吹雪の貫禄に近くなってきた。瀧本美織さんではここまでは来れなかったでしょう。やっぱり、適材適所は大事なことですね。

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