越路吹雪物語(31) 八重子の死を乗り越え、越路吹雪としての一歩を踏み出す決意

※ネタバレ含んでいます。ご注意ください。

ダイジェスト

片桐八重子は、満州から引き上げてくる船の中で死んだ。自分のことは二の次で、二人の子供に必死で食べさせたという。

八重子の分まで食べて生きようと、涙ながらにカレーを食べるコーちゃんと大介。

寄宿舎に戻ったコーちゃんは、八重子を思って泣き続けた。
そして翌朝。いつものように登った朝の太陽にコーちゃんは宣言した。

「八重ちゃん、わたし生きるよ。だから見ていてね。わたしを。越路吹雪を」

コーちゃんは、宝塚歌劇団の理事長の部屋を再び訪れた。
偶然にも岩谷時子が同席する前で、退団届を提出するコーちゃん。この先何があっても越路吹雪として生き続けたい。そのための一歩を踏み出したいという。

理事長はコーちゃんの気持ちを理解してくれた。
しかし退団はまだ早い。まずは、はじめの一歩として映画に出演してみないかと言う。以前に、越路吹雪主演にとオファーをもらっていたのだ。

コーちゃんは喜んで引き受けた。
映画の撮影は東京で一ヶ月間。女の子がひとりで…とコーちゃんが心配な理事長は、時子にマネージャとして付いていきなさいという。

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八重子の死を乗り越え、越路吹雪としての一歩を踏み出す決意

※ここから先は個人的な感想です。

『幼女の声』田宮虎彦

わたしは小学生のときに『幼女の声(田宮虎彦)』という小説を読んで衝撃を受けました。満州開拓団の女の子が日本への引き上げを回想する物語。確かこんな話だったと思います。間違っている部分があるかも知れません。

守ってくれる日本の兵隊もいなくなり、ソ連兵がお父さんをどこかへ連れていった。家も財産も捨てて、私達は歩いたり馬車に乗せてもらったりしながら日本を目指した。

弟・満州男をおんぶしていたが腸チフスで弱っていきどんどん軽くなり、最後は泣く体力もなくなって死んでしまった。おばあさんも歩けなくなり、ここに置いていってくれと泣いた。涙で別れて先へ進むしかなかった。

わずかなお金は現地の朝鮮人の道案内と引き換えに消えてしまい、それでも「もっと出しなさい、もっと出しなさい」と言われてボロボロのもんぺを脱いで渡した。最後はぎゅうぎゅう詰めの船に乗って日本に着いた。

お父さんは今も帰ってこない。わたしは今でもあの逃避行の夜を夢に見る。楽しかったことも夢に見る。夢の中には弟もおばあさんもいる。

『幼女の声』は「満州男もいました。目が覚めて泣きました」という一文で終わります。

八重ちゃんの一生…

わたしは、尋常小学校時代の八重ちゃんの姿が忘れられません。幼い兄弟を背負った八重ちゃんが、美しいコスモス畑の道を笑顔で歩く姿を思い出すと泣けてきます。

コーちゃんにも見せたくない八重ちゃんの家は貧しかった。お父さんが熊に襲われて死んだシーンはリアルだった。進学の夢も消え、八重ちゃんは寒い秋田の炭問屋で真っ黒になって力仕事。親の借金を返すため休みももらえなかった。

勉強キライ・歌好きだけで宝塚に入り、うどんやカツサンドを食べてニッコリのコーちゃんの能天気な人生とは、えらい違いでした。

働いてばかり辛いことばかりの八重ちゃんだったけど、満州では大きな家に住んでお手伝いさんもいて、少し楽ができたかも知れない。手紙には、元気でやってる、饅頭が美味しいって書いてあったしね。大介の話から想像するに、旦那さんも良い人のような気がする。二人の子供にも恵まれたし。

満州で暮らしたときが、八重ちゃんの短い人生の中で幸せなものであったことを祈ります。

あとがき

誰かが死んでも、いつものとおり太陽は登るしお腹は減る。
悲しくても辛くても明日はやってきます。であれば生きているものは一歩先へ進むしかないのですね。

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