ひよっこ 9/16(土) 松下さんが電気修理のためすずふり亭にやってきた

ダイジェスト

みね子とヒデがデートの約束をしたそのとき、すずふり亭の表のドアから「みね子ー」という男性の声がした。ドアを開けると、そこに立っていたのは、向島電気の工場主任だった松下さんだ。みね子は大急ぎであかね荘の愛子を呼んでくる。

松下さんは、電気修理の会社をやっており、今日は修理のためにやってきたのだった。
社長兼社員だから気楽なもんです、と笑う松下さん。
短い時間ではあるが、向島電気の想い出話をする松下さんと愛子・みね子だった。

ある日早苗は、世津子と愛子・みね子を月時計に強引に連れていった。言いたいことが溜まっているのだという。

まず1つめは、あかね荘の部屋割りを変えようという提案だった。

  • みね子が世津子を連れてきたのは、世津子さんも幸せにならないといけないと思ったからだ。
  • であれば、2人とも話しにくいことから逃げずにちゃんと話をして、辛いことを乗り越えないといけない。
  • 愛子が間にはいってしまうため、2人は楽なほうに逃げてしまっていた。
  • みね子と世津子を同室にして、2人でじっくり話ができるようにしよう。

2つめは、早苗さん自身の恋の話を聞いてもらいたいというのだ。

感想

今日は、登場人物の中で二番目に好きな松下さんが登場したので、松下さんのことを書きます。早苗さんの話はまた来週に。

また、松下さんの登場をきっかけに、不自然なシーンの裏にある理由~ドラマ制作の難しさについて、素人なりに色々考えました。これも書いてみたいと思います。

松下さんについて

向島電気編で本当に生きていた、松下さん

わたしは松下さんがとても好きなのです。
ドラマ全体の中で向島編が最高だったとわたしは思っているのですが、その向島電気の世界の中で、松下さんはほんとうに生きていた人でした。

まず、松下さんの外見。七三に分けた髪型と作業服、お顔立ち。最初に登場したときから、あっ!昭和の工場にいた人だ!と思いました。

言動も工場主任そのもの。朝礼で話すときの態度、給料を手渡す姿、上司に呼び出された帰り道の疲れた様子、乙女達へ工場閉鎖を告げるときの姿。全部、ものすごくリアルなのです。演じている人はほんとうに工場で働いていたのかな?と思ったりもしました。

いまは気楽な松下さんだが、向島電気では大変だった

今回、赤坂編に登場した松下さんは、電気修理の会社をやっており、社長兼社員で気楽だといいます。

そうですよね~。向島電気では、中間管理職だったのですから、大変でした。

中間管理職の松下さんは、工場の生産効率を上げなければなりません。そのため、トロい澄子に説教したり、田舎に帰れ!とか、給料日を延期するよ!などと言って、乙女達に恨まれたりする損な役割です。たぶん自分自身がライン作業するほうが、気が楽だと思います。

また、経営者の代理として「ご苦労さまでした」と給料を渡す役目で、会社の経営が危なくなったのも自分のせいではないのに、乙女たちに謝らなければならないのでした。

最後の朝礼で涙ぐんだ顔、工場最後の日に立てこもり事件を起こした豊子をかばってくれたこと、職場を去っていく乙女達の後ろ姿に深々と頭を下げた姿、いまも忘れません。

再登場はうれしいが、赤坂編には違和感

松下さんがまた登場すると知り嬉しいことはうれしかったのですが、赤坂編のいまの世界には出てきて欲しくない気持ちもありました。いまは乙女寮の時代と別のドラマだといっていいくらいおかしな世界になっているのでね。

予感どおり、松下さんは不自然なことをさせられてしまいました。せっかくの愛子さんの再会もぎこちなく、最近すっかりおかしくなったみね子とヒデに、絡ませられてしまいました。

今後は松下さんはもう出ないでしょうね。
松下さんを演じた奥田洋平さん、お疲れ様でした。ありがとう。

不自然なシーン多発、何をねらっている?

今回、不自然さが目立つシーンが多くありましたが、どんなに不自然なシーンにもねらいどころがあったはずです。ドラマ制作者は何をねらっていたのか考えてみました。

「みね子ー」と呼ばれてドアを開けるシーン

休日のすずふり亭の表玄関から「みね子ー」と呼ぶ男性の声。「みね子」と呼ぶ男性は家族以外なら省吾か元治しかいないけど、彼らが表からはいってくることはない。いったい誰だろう?とわたしは思いました。しかしみね子は疑問をもたず、何も考えない笑顔のまま走ってきて無造作にドアをあける。これがいかにもヘンなのです。そして「ええーっ!!」と、急に大声で驚く。

目的は「みね子に大声で驚かせる」ため?それくらいしか考えられない。

松下さんが来たことを、すぐ愛子に言わないみね子

大声を出したあと、愛子に知らせに走るみね子。いきなり腕をひっぱって連れて行かれる愛子が、何?なに?どうしたの?と聞きますが、みね子は言いません。何よ?来れば分かります。省吾さんに見られちゃう!この洋服ヤダ!着替えたい。いいですから。えーっヤダヤダ!とドタバタする2人。

普通ならすぐに「松下さん来てます!」と言うはず。そして2人は、松下さん?本当?何しに来たの?と会話しながら笑顔ですずふり亭に走り込んでくるのが自然です。どうせ3秒後には分かることを、なぜもったいぶって隠すのか。

「愛子に、省吾さん絡みでドタバタさせたかった」からでしょうね。

松下さんとの再会の場から、立ち去らないヒデ

松下さんが電気修理をしているところに、愛子とみね子が走り込んできて、向島電気メンバーが再会しました。愛子さんと松下さんは短い言葉で再会を喜びます。

ヒデは3人の再会には関係ないので、挨拶がすんだらその場を外すのが自然な礼儀だと思うのですが、なぜか何もしないで脇で立ったまま、ずっと松下さんを見ています。その様子が不自然で間がもたないというか…とにかくとても変で、なんでこの人がここにいるのか、軽く不快感を覚えました。

これは「みね子の向島電気での失敗談を、ヒデに聞かせるため」でしょう。
ヒデに聞かせ、そのあとみね子の「もういいですから!」の叫びにつなげるため。

脚立から落ちる松下さん

松下さんは、修理の作業中、いきなり脚立から落ちます。
電気工事のプロですから、脚立での作業には慣れているのに。脚立がグラグラとかでもなく、理由も気配もないのに、本当に突然落ちます。

これは「ご安全に」と言わせたかったからでしょう。

わざわざ月時計に世津子を連れて行く早苗

早苗さんは、世津子・愛子・みね子を月時計に連れて行きます。
世津子は世間から隠れてあかね荘にいる身。早苗の話の内容からしても、わざわざ月時計にいくのは不自然です。部屋でもお酒は飲めます。

「世津子に変装させる」ためでしょうね。

そして、愛子が月時計に先に行って誰もいないことを確かめたのにも関わらず、4人が月時計に到着すると、酔っぱらった先客がいました。これもおかしい。

「酔っぱらいに『川本世津子はもっと美人だ』と言わせるため」ですね。

大きな目的・意図がわからない

視聴者としては、しかけが丸見えになった手品を見るような気持ちですが、わざわざ不自然なシーンを入れるのはねらいどころがあり、作り手は、あえてそうしているのだと思います(単なる見落しとは思えないので)。しかしその「ねらいどころ」は、いったい何のため?もっと大きな目的・意図が、本当に、わからない。

過去の決めぜりふを言わせたり、変装させたりドタバタさせてるけど、エピソードや人物設定上の伏線でもない感じ。結局、その場かぎりで目を引きたいだけに見えるのですが、本当にそうなの?

名作「あまちゃん」にも不自然なことはありました。
たとえば鈴鹿ひろみが歌を春子に吹き替えられていることに気づかなかいというのは、いかにも不自然です。しかし最後の最後で、鈴鹿ひろみは実は音痴ではなかったし、春子の吹き替えにも気づいていた可能性が示唆されました。あきらかな不自然さにはちゃんと意味があるんです。そこだけ見てもひよっことは大違い。

ドラマの制作手順が原因?

わたしはテレビドラマの作り方は全く知らないのですが興味があります。

企画意図の決まったあとは、全体の概略を設計するのでしょうね。登場人物のキャラクタ設定をして、各エピソードを決め、人物ごと場所ごと、いろんな軸でエピソードの起承転結をみながら流れを作るのでしょう。時系列表みたいなものも、作るんでしょうね。

そこで決定したことに基づいて、エピソードを一週間・一日という単位に振り分けて詳細に展開していくのでしょうね。

素人考えですみませんが、何にせよ「最初に全体設計をキッチリして、あとから大きく変えない」のが大事で、途中で変えてしまうと詳細が破綻し、修復に追われることになるでしょうね。(ソフトウェア開発と同じ…)

ひよっこの場合、奥茨城編と向島電気編はとても良かったのに、後半にすすむにつれ崩れていったのは、全体設計ができてなかったか、あるいは途中で大きく変えたのではないか。その場限りの話題性や人目をひくだけのシーンが増えたのも、そう考えると納得できます。

NHK朝ドラマの場合は、放映が始まったあとも脚本家が執筆していると聞きます。なので役者も(制作チームも)ストーリーがこの先どうなるか知らない状態で作るそうです。これがNHK朝ドラマが(他の時間帯のドラマに比べて)、出来が悪い(すみません)原因ではないかと思います。

そんなことは皆さん、とっくに分かっておられたかも知れませんね。
わたしは今回深く考えて、やっと腑に落ちました(笑)。

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あとがき

わたしは、NHK朝ドラマを3ヶ月ローテーションにしたら良いと思います。半年というのは長すぎる気がするのです。いまの半分になれば脚本を書きながら進まなくても良いかも知れませんし、もっと多くの作家や役者にチャンスができ、いろいろな時代のいろんなタイプのドラマが見せられるのではないでしょうか。

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