半分、青い。8/2(木) 涼次が家族を捨てたい気持ち、ちょっとわかる

※ネタバレ含んでいます。ご注意ください。

 ダイジェスト

鈴愛(永野芽郁)と花野(山崎莉里那)を残して家を出て行った涼次(間宮祥太朗)。やがて帰ってくるだろうという鈴愛の淡い期待もむなしく、連絡が途絶えたまま数日が経った。そのころ藤村家では、涼次の3人のおば、光江(キムラ緑子)、麦(麻生祐未)、めあり(須藤理彩)が、なかなか戻らない涼次を連れ戻そうと画策。祥平(斎藤工)のもとに転がり込んだに違いないとみた光江と麦は、祥平の家に踏み込み、涼次を発見する。

引用:NHK公式ウェブサイト

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涼次が家族を捨てたい気持ち、ちょっとわかる

※ここから先は個人的な感想です。

なるほどね。
涼次が「家族を捨てたい」気持ち、ちょっとわかるな。

家庭の幸福は諸悪の根源

太宰治いわく「家庭の幸福は諸悪の根源」。
(我が子が可愛い。身びいき。そのエゴが諸悪のもと)
(そうは言っても、太宰治も幸せな家庭生活を送った時期があったはず)

大多数の人間にとって、ささやかながら一番の幸せは、家族や家庭に恵まれることでしょうね。わたしのように家族のない者もいますけど、大多数の人は、子供がかわいい・愛しい。その姿を見るだけで明日も頑張って働こうと思うものです。

平凡な市井の人はそれで良いと思います。
働いて家族を愛して終わり、それで充分いい人生だと思います。

でも、芸術や文学に一生を捧げた人はそうはいかない。日常を超えて普遍的な美や真実を追求して行かなあかんのです。朝も夜も考えて考え抜いて突き詰めて、エッセンスを絞り出していかなくちゃならない。子供の誕生バーティだといって定刻に仕事を終えて帰宅するとか、そんなささやかな幸せは、ない。

修道院の人や修行僧など、神仏に仕えて求道する人は昔からみんな独身ですよね。釈迦は妻子を捨てて出家したしね。我が身ひとつを何かに捧げて生きるひとは、家族すら所有してはいけないのです。

それと同じで、涼次は芸術(映画)の神様に一生を捧げるつもりなのでしょう。凡人の自分は家族への愛に終始してしまって芸術の神様から離れてしまうかもしれない。そうならないように退路を断つ。家族を捨てる。と、そういうことなのでしょう。

ひとりで行くんだ 幸せに背を向けて
さらば恋人よ なつかしい歌よ友よ
いま 青春の河を超え 青年は 青年は 荒野をめざす

「青年は荒野をめざす」歌詞より抜粋。
作詞:五木寛之 歌:ザ・フォーク・クルセイダーズ

商業映画作るのに、それは大げさでしょ

しかしね。
涼次は、商業映画の脚本を書いたり監督したりしたいんでしょ。
商業映画の監督くらいで、それは大げさじゃないでしょうか(^_^;)

純文学を書くと言うのなら、まだ分かるけどね。
スポンサーつけて予算があって興行成績上げて…まるっきし商業ベースの映画を作るのに、求道者みたいに家族を捨てるなんて、ちゃんちゃらおかしい。

それに、自分から「結婚しよう」と言っておきながら、子供まで作っておきながら、それはないでしょう。

この人は仕事に行き詰まったら、また「温かい家庭が欲しい」って言うでしょうね。

あとがき

光江さんの取り乱し方、ナイス。コメディとして楽しく見れました。

麻生祐未さんはせっかく美しい人なのに、麦さんは痩せて痛々しいヘンなおばさん。めありは不潔そうなおばさん。この二人は必要ないんじゃないでしょうか。面白い光江さんひとりで充分。

いま気がついたけど…
今日は、すずめがほとんど出てこなかったな。
だからかぁ。不快感がマシだったのは。

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